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心に残った、しんぶん赤旗の記事
 私が心に残った、しんぶん赤旗日曜版(7月21日付)の記事を紹介します。女優の奈良岡朋子さん(83歳)の話です。
15歳の時、一晩で10万人が焼き殺された東京大空襲にあいました。翌日の東京は、「昨日まで生きていた人がみんな死んで転がっている。電柱に死体がぶら下がっている。高台から見ると焼野原。涙も出なかった」と。70歳までは、戦争の体験はほとんど語りませんでした。話せば生々しい場面がいやおうなしに浮かぶからです。しかし「人生の幕をそろそろ降ろさなきゃと考えた時に、戦争を知らない人たちに伝えなければと思うようになりました。戦争は嫌だ。二度と起こしてはならない。年寄りがなにをほざくか、と言われるかもしれません。でも黙っていては、生き残された意味がないと思うんです」と語っています。
 戦前、奈良岡さんの叔父は、国鉄労働者で日本共産党員でした。特高警察に逮捕され、拷問をうけました。乳飲み子を抱いた叔母と駆けつけた時には死の間際でした。
「まじめで勉強家な人でした。あの時代、自由を求め、非業の死を遂げた人が大勢いたと思う。戦争はしない。戦力はすべて放棄する。その一文だけでも、日本の憲法は大変に価値のある憲法です」と語っておられます。
 私は、この文章を読んだとき、あの小林多喜二を思い、そして父のことを思いました。父は若い時、八幡製鉄でレッドパージにあいました。父が10年早く生まれていたなら、奈良岡さんの叔父さんと同じように逮捕、拷問を受けていたかもしれない、私はこれまで、歴史上の出来事だとしか思っていなかったのではないか、と。
 
 若いみなさん、あなたは戦場に行きますか?女性のみなさん、あなたは恋人を、夫を、息子たちを、海外の戦場に送りますか?それがいやだと拒否したら、軍法会議にかけられて死刑もしくは懲役300年となる日本を望みますか?
戦争できる国なんて真っ平御免です。先輩たちが命を懸けてつくった憲法9条を絶対に守り抜きましょう。

 今日、映画「少年H」を見に行きました。私の父はHより3つ年上でした。父は終戦間際に戦争に行きました。そしてシベリアで捕虜になりました。Hの姿が父の時代と重なり、涙が止まりませんでした。映画に出てきた、特高警察に捕まった共産党員の若い青年は、生きて帰れなかったのでしょうね。多喜二の小説で読んだ拷問とが重なり、感情移入して見てしまいました。
 8月は、先の戦争の愚かさを考え、二度と同じ過ちを繰り返してはいけないと心に刻み込む時です。

masakiichiko | - | - | - |

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