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「生活保護問題議員研修会」in長野、参加しました。
 長野県の信州大学キャンパスで行われた研修会、大変有意義なものでした。ほぼ毎年参加していますが、今回は参加人数が多かったようです。全国から集まった地方議員の研修会です。
 相対的貧困率が16.1%(H24年)から15.7%(H27年)に下がったと言いますが、景気回復の実感は全くありません。特に高齢者の年金が年々減らされ、年金では生活できない最低生活基準を下回る下流老人が増えているというのが、日々の生活の中では実感しています。
 会場は超満員の研修会でした。大成功です。

 1日目は、基調報告「生活保護の動向と生存権の保障」、講演1「メディアから読み取る生活保護と子どもの貧困」、講演2は「医療現場からみえる子どもの貧困、特別報告1「当事者の声を聞く、生活保護実態調査をふまえて」、特別報告2「私のまちの生活保護、議員としてのチェックポイント」
 盛りだくさんのスケジュールで、聞く方もちょっと疲れました。どれもリアルな実態、当事者の声を反映させた取り組みで、問題を提起されており、時々は感極まってジーンとくる場面もありました。高齢者の問題は、これからどれだけの年金を支給されるかわからない私のくらしにとっても、他人ごとではありません。我がこととして高齢者の生活によりそえる議員でありたいと思いました。

 わが町でも頑張ってくれている生活保護課の職員に、エールを送ります。つい先日、電話がありました。若いころから頑張って働いてきた元大工さん。年とともに仕事がなくなり、シルバーの仕事と貯金を取り崩して生活してきましたが、年金を賭けて来なかったため、生活できなくなりました。保護課に行くとその日に申請を受理してくれました。諸手続きが終わり、「生活保護費が入りました。ありがとう」という電話でした。当事者の生活に寄り添って頂いた、職員に本当に感謝です。当事者は真面目で明るい人です。これからは孤独・孤立しないように見守っていきます。

 1日目の講演では、医療の現場からの子どもの貧困を話していただいた、民医連小児科の医師の報告が良かったです。医療の現場では貧困が見えそうで見えない、いや医療者は見ようとしていないのかもしれません。とくに定期受診しない子どもに対しては「親が悪い」の一言で済ましてしまいがちです。なぜ受診しないのか、症状悪化で夜中に受診せざるを得ない、子どもになぜ?と問いかける勇気が必要だと教えられました。そこから見えてくる真実が解決の一歩です。
 一人の医師として頑張るのではなく、スタッフがそれぞれの立場で支援すること。見えにくい子どもの貧困は、見ようとしたら、疑問に思ったら、必ず見えてくる。そこに解決策が見えてきます。
 その先生が「すべての子どもが、ちゃんと治療ができるように、所得制限なし、窓口負担なしの医療費の無料化が必要です」ときっぱり言われていました。

 2日目は分科会で、私は「自治体で考える住宅セーフティーネット」に参加しました。
 生活相談で高齢者の住宅確保できず、自分の無力を経験したからです。国や市の制度で、低所得者(生活保護者には住宅扶助がありますが)の住宅家賃の補助制度があったら、この高齢者は救われたからです。
 そしてH29年4月26日に国会で「住宅確保要配慮者に対する賃貸住宅の供給の促進に関する法律の一部を改正する法律」ができ、公布されました。国は今動いています、市も市民にとって有効な法律はどんどん利用して、困っている市民を救うべきです。
 制度は、―斬雎諒殕彷枸玄垳け賃貸住宅の登録制度、➁登録住宅の改修や入居者への経済的支援、住宅確保要配慮者の居住支援の、3つの柱から成り立っています。この制度をどうしたら利用して、住宅費が高いと悩む市民、エレベーターがないと困っている市民、住宅が狭いと思っている市民の悩みに寄り添えるのか、解決に向けて制度の導入を自治体として向き合っていかないといけないと思いました。

 帰りに女性議員で記念写真を。

 長野駅がとっても素敵だったので、掲載しました。
 
 一泊二日の研修は、めいっぱいの講義と片道30分の徒歩で疲れました。たくさん学んだあとの、夕食は美味しかったです。
 金曜日の夜、ホテル近くの繁華街は、食事する店がお客さんでいっぱい。何件か訪ねてやっと高級?居酒屋さんで6人で夕食をしました。昼食は時間がなく駅前の立ち食いソバ屋さん(信州そばでとってもおいしかった)でした。お腹ペコペコでした。出てきた食事があっという間になくなるという勢いで、食べました。イワナの塩焼きが美味しかったです。
 長野までは、名古屋まで新幹線、その後は特急「しなの」で行きました。しなのの片道3時間はちょっときつかったです。改めて長野は大きな県だと実感しました。車窓から見える、山並みと麓の街、段々畑と果樹園の風景が美しく、素敵でした。

masakiichiko | - | - | - |

戦争展で映画を見る
 戦争展は18,19,20日とありますが、映画「標的の島 風かたか(かじかたか)」が19日にあり、午前の部に見に行きました。

 三上智恵監督の最新作『標的の島 風かたか』

 「2016年6月19日沖縄県那覇市、米軍女性暴行殺人事件の被害者を追悼する県民大会で、稲嶺進市長は言った「我々は、またいのちを救う“風かたか”になれなかった」風かたかとは風よけ、防波堤のこと。
 沖縄県民の8割の反対を黙殺した辺野古の新基地建設、全国から1,000人の機動隊を投入して高江で強行されるオスプレイのヘリパット建設。現場では多くの負傷者・逮捕者を出しながら、激しく抵抗が続く。この国は、今何を失おうとしているのか。映画は、伝えきれない現実を見るものに突きつける。
 監督は、『標的の村』『戦場ぬ止み』の三上智恵さん。」映画のパンフから

 なぜ今、先島諸島を軍事要塞化するのか?
 それは、日本列島と南西諸島を防波堤として中国を軍事的に封じ込めるアメリカの戦略なのです。日本を守るためではなく、基地があれば標的になる、軍隊は市民の命を守らない。それは先の沖縄戦での歴史が証明しています。
 沖縄に新しい米軍基地の飛行場や自衛隊の駐屯基地を造らせまいとする住民と警察機動隊とのにらみ合いが続きます。全国からの機動隊を送り込んでいます。その中で、市民リーダーの病気を心配する沖縄の警察官の姿がチラッとありました。現地の警察は、市民の気持ちがわかるだけに、激しい取り締まり、にらみ合いができないのでしょう。全国から次々と送り込まれ、工事車両を通さないと抵抗する住民を容赦なく引きずり除去していました。それでも住民のまっすぐな見らみあい、訴えに耐えれなくなり、交代する機動隊。正義のための仕事とは一体何なのか?

 戦争を経験したおばぁに「ぶれることがないのか。なぜ続けているのか」と聞いた。答えは一つ「私は戦争で犠牲になった死体が浮かぶ、川の水を飲んで助かった。沖縄のたたかいで犠牲になった人たちの血が私の体にある。だからぶれない」と。若いお母さんらは「生まれた時から母やおばぁに戦争の話を聞いて育った。子どもや孫たちが戦争で逃げ惑う、そんな目には絶対合わせたくない」と今も基地建設反対のたたかいがあります。

 それでも沖縄には民謡があり、祭りがあり、歌踊りがあります。とにかく明るい。そんな伝統を大切つにしながら文化の継承を続ける高校生たち。沖縄の未来は明るい。その礎を築こうと頑張っている島の人たちと一緒に作ったドキュメンタリ―映画でした。会場に大きな感動と悔しさ、エール、共感が渦巻いていました。会場で見ている私たちも、沖縄で市民と闘っている姿を想像できるものでした。悔しくて涙がこみ上げてきます。
 いつの日か近い将来、また沖縄に行ってみたいと思います。
 

masakiichiko | - | - | - |

最後の夏休みの日
 8月16日、最後の休日は夫の父、母の墓参りに行きました。夫と次女と孫と一緒に大阪の飯森霊園まで。車で1時間、普段はなかなかいけません。
 朝方は曇っていたのに到着したら、気温が上がり暑かった。墓の周りの草を引き、暑くなった墓石に水をたっぷりかけて冷やしました。ばあちゃん・じいちゃんも少しは涼しくなったかな。孫が炎天下の中でも元気に墓の掃除をしてくれました。

 夕方からは、次女の夫が明石からタコを釣ってきて「タコちょうだい」と言ったら、大きな1圓呂△襯織海鬚れました。そして夕食は一緒に食べることになりました。
 私が調理しました。大きなタコ

 すると、北海道に住んでいる私の看護師時代からの友人が、「富良野のトウモロコシ」を送ってくれました。早速、湯がいて夕食に出しました。その美味しいこと!甘くてシャキッとしてみんなで「これはうまい!」と大好評。
 富良野のトウモロコシ。湯がいたものはすでに、胃の中へ。

 明石のタコ、北海道のトウモロコシ。九州熊本の天草の刺身と。そういえば同窓会では、熊本馬刺しとアワビが出ました。私は馬刺しなんて初めて食べました。美味しかったです。何と贅沢な夏休みだったことでしょう。
 ちょっと、膨らんだお腹を何とかしなければ・・・。

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天草市亀川中学校還暦同窓会
 11日から14日まで、田舎に帰ってきました。第一の目的は、還暦同窓会に参加するためです。そして第二の目的が、病気回復中の母親を励ますためです。
 昭和47年に中学校を卒業した、今年還暦を迎いた(迎える)同窓会が開かれました。早くから計画をしてくれた地元の同級生に感謝です。
 「あの頃はよかった」と、過去はあまり振り返りたくないけど、この時ばかりは楽しかった青春に戻って「あの頃はよかったねー」と何度も思います。バカばっかりやっていましたが・・・。小中学校の友達は幼なじみ、男の子も女の子もなく、楽しかった思い出にしたりました。長い人生こんな楽しみもないとね。
 自分の含めて、この年になったら人生への不安、子どものこと、生活の事、いつまで働けるのか、病気に事等、心配なことだらけ。そんなことを心の中では共有しながら、あの輝かしい青春の日を懐かしむ、私の同級生はみんな輝いていました。この日を糧にして、もう少しだけ頑張りましょう。
 あっ、そうだ、私のブロブ見ていたお友達がいました。ありがとうございます。これからも楽しいブログをお届けしますからね!
(あいにくカメラを持っていくのを忘れました。写真がありません)

 今回の帰省は、母親の陣中見舞いでもありました。兄夫婦が介護していますが、ストレスがいっぱいで大変そうでした。母親も正常に頭が回ることと、脳こうそくのためか認知症状もありました。思うように自分のことができない分、兄やお嫁さんの手を借りるのが、お互いにストレスがたまるようです。
 左手が不自由ですが、足は回復しており一緒に墓参りに行きました。階段状になったところも手すりをもってどんどん歩きます。しっかりリハビリの成果が出ていました。
 直腸がんの手術後、人工肛門を抱えているので処置が自分でできずに、兄にお世話になっています。兄に替わって風呂に入れ、ストマーの処置をしてきました。

  次女一家も一緒に行きました。姪っ子の大阪から会いに来てくれました。にぎやかに記念写真です。

 母親と私の妹、次女の子どもと一緒に

 関西に帰るとき、時間があったので熊本城に行ってきました。思ったより道路の渋滞がなく、スムーズに帰ったので、時間が余ってしまいました。
 熊本地震で石垣が崩れた状態が、そのままに残っていました。
 美しかった、熊本城が崩れた状態に。
 熊本城は近くからは見れなくて、遠くから観光しました。多くの外国からのお客さんの含めて、多くの観光客でいっぱいでした。でも熊本の象徴であった、熊本城の姿に心が痛くなりました。これからも補修の過程を見守っていきたいと思います。
 熊本市内あちこちに、くまモンがいました。お土産にも人気者でした。

 楽しかった、休暇は終わりました。さて9月議会に向けて準備に本腰を入れ、頑張ろう! 自分に言い聞かせています。
 

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6日、「原水爆禁止世界大会」ヒロシマデー集会2000人
 広島に原爆が投下されて72年となる6日、歴史上はじめて核兵器を違法なものとして核兵器禁止条約が7月に採択されて最初の原水爆禁止2017年世界大会が・広島「ヒロシマデー集会」が広島市内で開かれました。
 すべての国が速やかに条約に参加し、核兵器の完全廃絶を迫る世論を国内外で発展させようと呼びかけました。
 広島市主催の平和記念式典でも、日本政府に対して、「核兵器禁止条約の締結を促進」が強調されました。同式典には日本共産党の志位和夫委員長はじめ党代表団が出席しました。 (しんぶん赤旗から8月7日付け)

 長崎の原水爆禁止世界大会が7日〜9日に行われます。尼崎からは6日フェリーで行く予定でした。しかし大型台風の影響で、船が欠航となりました。今日新幹線で行く予定ですが、台風の影響が心配されるところです。共産党議員団から広瀬若菜議員がいきますが、果たして長崎に行けるのか心配です。今日は無理しないで明日に行ってもいいのでは。明日は台風一過の晴天になることを期待します。

 今日のしんぶん赤旗の読者投書欄に載っていた文章を紹介します。
      治安維持法と共謀罪思う。
>「7月12日付赤旗の『朝の風』を読み、治安維持法は一般市民にも襲うかかった恐ろしい弾圧法だったことが改めて思い知りました。
 戦時中に製紙工場で働く13歳の少女が、与謝野晶子の「君死にたまうことなかれ」の一節に赤線を引いたら寄宿舎の私物検査で特高警察につかまった。拷問で死にかけ寮に帰されて「茶わんイジホウって何」と聞くと寮長が泣いた。との赤旗の記事(1980年10月10日付「証言 特高警察」) です。
 13歳の少女は人間の命の尊さから、あるいは親兄弟の愛情から、赤線を引いたと思います。治安維持法の名前すら知らない可憐な少女を逮捕し、命にかかわるような拷問をしたのです。
 治安維持法は、共産主義の抑圧を目的としてつくられましたが、侵略戦争に協力しないすべての人を弾圧しました。「共謀罪」法は治安維持法と同一ですから廃止させるよう世論と運動を広げましょう」
 と書かれた投書に、共謀罪の怖さに身震いを覚えました。自分はもちろん、子や孫たちに襲いかからないように、未来を守るために絶対廃止しましょう。と呼びかけたいと思います。

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健康福祉委員会、管内視察その2
 廃校となった旧聖トマス大学をリニューアルし、この4月から看護学校が移転しました。もともと看護学科をつくると整備された後、廃校になったために、看護学校として設備はそのまま使われていました。素晴らしい看護学校にリニューアルされていました。

  母性の教室 かわいらしい赤ちゃんの人形が寝かされていました。中には泣く赤ちゃん模型もありました。

  看護や、介護、医療に関する図書がびっしりの図書室

 在宅看護用のたたみの部屋もありました。

 病室に例えた教室。ベットや看護物品が整備されています。

 他に教室や、情報室、大教室など元大学らしい施設も活用されていました。
 私は昨年の一般質問で、ベットや生活介助の設備が整った看護学校は、大災害時等非常時には、「福祉避難所」になるのではないかと質問しました。当局は「検討する」と答弁しました。私はひそかに福祉避難所になりえるのではないかという視点でも、視察をしました。



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健康福祉委員会で、管内視察に行きました。
 健康福祉委員会では、身体障がい者福祉会館に行きました。本施設は昭和38年に建築された古い施設です。施設の中は各部屋が狭い気がしましたが、機能が素晴らしく、障がい者が使いやすいように、工夫・吟味して建てられていることがよくわかりました。
 一階は玄関を入ったところに、よく使われるホールがあります。
 床はすべて絨毯で、杖の音がしない。滑らない等の配慮があります。2階建てですがエレベーターがあります。当初からあり、大分古くなっているとのことですが。

 1階部分にあるトイレがバリアフリーで素晴らしい!

 理事長の方、事務局長さんが「障がい者に寄り添った、素晴らしい施設です。飲食も自由で大切な施設を残してほしい」と願っておられました。
 

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議員団控室の引っ越し
 8月5,6,7日で議会棟の会派の部屋が大移動します。6月の改選後各会派のメンバー構成が変更したからです。共産党議員団は7人から6人になりました。そのために部屋の面積が少し狭くなります。
 引っ越しの準備で、本や物品の箱詰め、机や本棚の整理等結構大変。部屋の移動はないのですが、新たに壁の仕切り直しがあるので、部屋をからっぽにします。
 まぁこんなこともないと部屋の整理ができないので、いい機会だと思って全員でがんばりました。8月7日に部屋の改築、引っ越しが終了します。本を本棚に整理する作業が待っています。
 新しい控室になったら、一度遊びに来てください。

 議員団としては11日から16日までは、夏休みです。しかし地域の活動は休みではありません。私は11日から14日まで田舎に帰ります。お盆に帰るのは久しぶりです。12日に同窓会に出席するために帰ります。母親や兄妹、幼友達に会えるのを楽しみにしています。
 夏休みが終わると、いよいよ改選後初めての大きな日程、約1ヵ月間以上の9月議会です。その準備でたいへんな日々が待っていますが、公約実現のために頑張ります。

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