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「一億総貧困時代」の本を読んでいます。
 雨宮かりんさんの「一億総貧困時代」の本にはまっています。実際生活している人をインタビューした貧困の実態を赤裸々に書かれた本です。内容に吸い込まれ胸が切なくなります。

  

 しんぶん赤旗、1月25日の潮流に書いてありました。
「この20年間で生活の苦しさや不安を感じている人が増え、直近の調査でも2倍近くに。所得や収入、資産や貯蓄の面でも不満が満足を上回っています。
一方で巨額の富の半分ほど集まっているという試算も。
普通に暮らすことができまず、「下流老人」「といわれる高齢者。高学費やブラックな労働で夢も希望も抱けない若者。居場所がなく満足な食事さえとれない子どもたち。格差と貧困のひろがりは、人々の心と体を傷つけ、この国をむしばんでいます。
 税金の集め方、使い方、働き方や大企業と中小企業の格差是正まで。1%のための政治から、99%の国民のための政治に切り替えようと。安倍首相は何年たっても実現しない「成長と分配の好循環」を相も変わらず。このままでは「一億総活躍社会」どころが「一億総貧困社会」に。この政権にノーの声をあげる。それが、希望のもてる社会につながっていきます。」
 とありました。私は尼崎市を見ていても、貧困が広がっている。中流と言われている人が貧困化していることを実感しています。アベノミクスの経済効果はまったく実感できていません。
 そんな事を思いながら、雨宮かりんさんの「一億総貧困時代」を読んでいます。



 

masakiichiko | - | - | - |

手話教室が終了しました。さびしいです。
 手話での、「I LOVE YOU」は万国共通手話だそうです。いいな。
片指で(I・L・Y)を表現します。手話で世界中の人とお友達になれます。戦争している国民同士でも「私はあなたを愛しています」の手話で解決されるのではないでしょうか。そんな力を持っているのが手話だと教えてもらった気がしました。(そんなに簡単なものではありませんが・・・)

手話でI LOVE YOUと表現しました。
 
 今回の手話教室で全9回、最後となりました。これまでの手話のおさらいをしました。単語手話を忘れているものが多く、その度の復習をするべきだったと思いました。それでも改めの教えてもらったら記憶がよみがえるものです。県名や地名はその地域にちなんだ表現だったら割と覚えていました。時間が来るのも忘れて復習に没頭しました。楽しかったです。最後に自分の言葉で、自己紹介や思っていることを表現できました。

 もっともっと勉強したいと思いました。また次の機会があったら習いたいものです。なかなか歌を手話で行うことはまだまだできません。
 

 

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市民要求
 年明けから仲間に「いちこ通信」を全戸配布してもらいました。その後の市民の方からの反応がありました。
 「ホッと一息に感動しました。」「子どもの居場所に児童館は必要だと思う」等匿名のはがきや電話がありました。本当にありがたいです。その中には市民要求が書かれてありました。
 時友のバス停のベンチが真ん中から割れている、危ない。

 時友のバス停

 割れたベンチ

 西昆陽の髭茶屋のバス停の道が、バスのタイヤで陥没している。横断した時に足がつまずいてこけた。

 分りにくいですが、陥没しています。そこに足がとられるのです。

 その後に、「無年金で、お金が底をついた。生活保護を申請したい」等の相談がありました。みなさんが頼ってきていただけることをうれしく思います。

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母の介護から帰ってきました。
 12日に母の入院中の病院に着くと、母は大変喜んでくれました。言葉もしっかりと話ができるし、左足も左右差なくよく動いていました。ただ左手がマヒがあり動きません。そのためか姿勢を保つことができず、ベッドに座っても疲れてくると左に倒れてしまいます。また架空のものが見えるようで、「虫がいる、蝶が飛んできて噛みつく、イノシシが窓をたたく」などと真顔で訴えていました。
 しかし日に日にリハビリが進み、体を支える、歩行器で歩く、食事は全部食べるなど、88歳にして日々進化しました。するとマヒしていた左手が意識すると動かすことができるようになりました。まだ力が入りませんが、完全麻痺ではなさそうです。
 話をいっぱい聞きました。天井の虫も模様がそのように見えるのだろう。動かないから大丈夫。窓の外の風景が蝶に見えるようですが、噛みつきには来ません。イノシシも3階までは上がってこれません。会話に整合性がとれいつの間にか普通の会話ができています。よく昔の話もしますが、母と話していたら楽しいです。母もたくさんのおしゃべりをしていました。

 そんなわけで、予定通りの5日間で帰ってきました。19日明日は少し遠いリハビリ専門の病院に転院しますが、1・2か月すると家に帰るようになるでしょう。少し寂しいと思いますが、目標の一人で歩ける、トイレに一人で行けるように祈っています。後は兄と妹に託して帰ってきました。
 また6月の市会議員選挙が終わったら、母の顔を見に帰ります。

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母の介護で田舎へ帰ってきます
 私の母はたいへん元気な人でした。88歳です。昨年5月に大出血し直腸がんが発見され手術を受けました。手術後は一時的にイレウスになりながらも、回復し農作業も出来るほどになっていました。
 12月31日に突然の脳梗塞を発症しました。命の危険性は脱したものの片麻痺と発語障害が残りました。リハビリ中で私は1月20日頃から、リハビリの励ましに行こうと調整をしていました。ところが妹から「母ちゃんがベットから降りようと勝手に動くので、看護師さんが車いすでナースステーションに連れて来てもらっている。早く帰ってきて」とSOSがありました。認知症が入ってのことでしょう。急きょ12日から帰ることにしました。
 しばらくブログはできません。新年のあいさつ回りもまだ途中ですが、取りあえず5日間帰ってきます。
 「母ちゃん、明日帰るからね。待っててね。」母に会えるのは楽しみです。少しだけ親孝行してきます。

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「成人式」で新成人を激励しました。
 成人式会場入り口で、堀内てるふみ衆議院議員、庄本えつ子県議と市議選候補者7人、辻修市議と全員集合で新成人を激励宣伝をしました。
 私は、短いあいさつの中で、「8時間働いたら普通の暮らしができる働くルールを確立し、自分らしく生るくらしを守ろうと声を上げていきましょう」と訴えました。


 きれいな晴れ着をきた新成人の前で訴えるのは、結構恥ずかしいものです。つい見とれてしまいます。

 双星高校書道部の書道パフォーマンスには、いつも感動します。

 会場に入って、セレモニーを見る新成人が少なかったように思いました。

 会場の外には、多くの新成人がなつかしい同窓会の状況でした。やはり同級生や幼友達に会えるのが、成人式の醍醐味です。今日は十分楽しんでください。と思いながら、会場を後にしました。
 私も経験ありますが、晴れ着やスーツを準備された親御さんの苦労が身に沁みます。新成人は最高に美しく、凛々しく育てていただいた親御さんに感謝をする日になりますように。
 最後に一つだけ苦言を、成人になったからと言って5.6人の羽織袴を着た男性軍が、ビールを飲みながら煙草をふかし歩いている姿は、成人男性としてかっこ悪いなと思いました。今どき集団での歩きたばこはいただけません。これも成人の日の思い出なのでしょうか?かっこ悪いですね。
 注意ができない大人も悪いなと、反省も含めて書かせていただきました。

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「新春のつどい」演説会
 市田忠義副委員長(参議院議員)を迎えて、日本共産党の演説会が開かれました。市田副委員長の話は、笑いとかけ声があり、会場がワクワク盛り上がりました。

ママの会の弘川よしえ弁護士、堀内てるふみ衆議院議員のはなしの後、7人の市会議員選挙の候補者の決意表明をしました。

7人の候補者の決意表明

 会場が総選挙、市議選勝利への熱気に包まれました。私の知り合いの人が「市田さんの話の中に、弾圧を受けながらも共産党の旗を絶やさず、守ってきた先輩の存在があったから95年間の歴史を積み重ねてきた。そんな共産党に政治を変える一員として一緒に歩んでほしい」と言われた時に感動して涙が出た。と言っていました。会場がワクワクと感動に包まれていました。


 舞台の裏で、市田さんと記念写真を撮りました。
 
 演説会終了後に、阪神尼崎で新婦人のつくし班9人で新年会を開きました。ランチを美味しくいただきました。「美味しいもの食べて今年も頑張ろう」と女性は元気です。

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正月恒例の、初詣に行きました。
 毎年、1月2日には門戸厄神さんに初詣に行きます。我が家から歩いて30分ちょうどいい距離にあります。
 夫が「家族のことは自分が幸せに過ごせるように、祈るから」と、私は「自分自身のことと母親の病気が回復すること、障害が最小限に抑えられるように」と、祈りました。たくさんお祈りをした割には、おさい銭は少なかったようです。
 今年は私が、厄年だということが判明しました。今年はいいことがありそうです。(逆境を成功に変える!)

  暖かくて穏やかなお正月となりました。「今年もよろしくお願いします」

 初詣の帰りは、参道に並ぶ出店がおいしそうです。恒例の夫は「ぜんざい」、私は「甘酒」が楽しみです。
 私は、甘酒を一杯飲んで、小休止。あったかい甘酒が疲れを癒してくれました。

 夫は「甘い、甘い」と言いながら、美味しそうにぜんざいを食べました。満足そうです。

 帰ってから、すぐにおひるご飯を食べ、ゆっくりしようかなと思ったとたん、次女から電話「お昼食べていない、お節料理ある?今から行くから」と。下ごしらえした唐揚げ、エビフライ、魚の照り焼き、昨日長女からもらった蟹を準備しました。それから次女一家と夜まで宴会です。私は正月からずっと台所でした。何のためにお節料理を作ったのか?煮しめや筑前煮はあまり人気がないようです。たくさん作ったのに、私一人で一生懸命食べています。

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あけましておめでとうございます。
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。
 今日は、朝の10時から富松神社での元旦の日挨拶をしました。毎年恒例で行っているものです。今日は堀内てるふみ衆議院議員も一緒に行いました。地域からも5人も参加してくれました。いつもは1人か2人で行うのに、今日は賑やかに活動できました。

 雲一つない晴天の元旦。堀内さんの参加で楽しく宣伝ができました。

 参拝客が長蛇の列でした。

 
 堀内議員は、今日は富松神社で4か所目の初詣宣伝だといっていました。夜中から長田神社でお参りし、家で仮眠したのちに初日の出を拝み、須磨神社、そして富松神社とあいさつ回りをしたそうです。その頑張っている姿に頭が下がる想いでした。
 富松神社では、毎年元旦に「能」を振る舞うことになっていましたが、今日は都合により取りやめになっていました。普段ならもっと参拝客で境内が賑わっているところですが、今日は参拝して帰る人が多かったようです。10時30分ごろから地域の人たちが訪れ、長蛇の列になっていました。

 堀内議員が、「こんだけの人が集まるのなら、他のところでは出店が出ているはずなのに、富松神社では規制しているのかな?」と言われました。そういえば私は議員になってから8年間元旦宣伝にこの神社に訪れていますが、出店はありません。地域の人々に愛されて尊ばれてきた神社です。能の伝統を大切にするために出店は規制しているのでしょう。元旦のあいさつ宣伝ではいつも富松町の文化に触れることができる貴重な時間です。
 今日は雲一つない晴天の元旦でした。

 昼からは娘一家がご飯食べに来ました。昨日お節料理を作りましたがほとんどが煮物でした。子どもたちは揚げ物が大好きです。揚げたてのから揚げとホタテのフライを食べさせるために、今日も台所に立っていました。孫たちはお年玉もらって大喜びで、次はパパ方の実家に行くそうです。

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