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熊本天草に帰ってきます
 母が26日に手術することになりました。母の病気回復のために、今日天草に帰ってきます。
 87歳という高齢であり、心配な事はつきませんがしっかりとした強い母です。きっと回復してくれると思います。関西にいる孫、ひい孫たちが励ましの色紙を用意してくれました。
 一週間ほど、ブログはお休みしますが、よい報告ができればと思っています。

 熊本は地震で大変な状況です。伊丹空港から熊本空港へ、熊本空港から天草空港へ飛行機でいきます。被害の状況が上空から見ることができると思います。被災地熊本を通り過ぎるのが申し訳ない気持ちでいっぱいです。
 昨日は、熊本地震後3回目の募金活動しました。駅前で1時間程度の行動でしたが、17,500円集まりました。日本共産党地区委員会から中央委員会に届けられ、被害のあった自治体に手渡します。
 避難者の人たちは、心身共に疲れと長引く大きな地震への恐怖感で限界が来ているのではないかと心配です。一日でも早い生活再建と安心して暮らせる日々が必要です。熊本市長さんが昨日の記者会見で「早急に数千の仮設住宅をつくる」としていました。国と全国的なと都道府県の支援が必要です。がんばれ熊本!

masakiichiko | - | - | - |

宝塚市で「矢野ゆたかさん」講演会がありました
 東京都狛江前市長、4期16年間、日本共産党市長として市民生活優先・クリーンな市政実現された、矢野ゆたかさんです。
 宝塚市では来年市長選挙です。市民派市長「中川ともこ市長」の再選にがんばる、明るい宝塚民主市政をつくる会が主催した、矢野ゆたかさんの狛江市再生の「市民が主人公のまちづくり」をお聞きしました。共産党の市会議員6期務めてからの、市長です。共産党であるゆえに、市幹部からの反発や保守系議員からの妨害がありましたが、市民とともに歩むまちづくりを徹底して貫き、〆討喇埔融が生まれない仕組みつくり。➁市民生活優先への転換。をすすめました。
 長時間のお話でしたが、矢野前市長の奮闘ぶりが目に見えるようでした。話に吸い込まれていきました。
 矢野ゆたかさん 

 狛江市の財政再建のために行革は「社会的に弱い立場の人々に最大限配慮する」ことに一線を引きました。苦しい財政の中でも、‖針爐任禄蕕瓩峠学前までの乳幼児医療の無料化・中学卒業までの子ども医療の無料化。➁多摩で2番目に学校司書全校配置。小学校6校に対し11施設の学童クラブの配置。を実現しました。今では子育て世帯の居住が増えています。
 国立市元市長の上原公子さんもあいさつ

 中川宝塚市長も駆けつけられました
 中川市長のざっくばらんな人柄に、驚きました。市民に安心して自分をさらけ出している感じに好感が持ちました。この市長はきっと非常時には、いち早く、適切な指示を出すんだろうなと思いました。熊本地震でも、宝塚市民病院の医師2人、看護師5人の救急チームを派遣したそうです。さすがです。

 尼崎からは私と川崎議員が参加しました。ちなみに尼崎市も熊本地震の救助隊として、いち早く救急隊員・保健師・家屋の倒壊診断をする専門家を熊本に派遣しています。全国から救助隊が熊本に結集しています。
 

masakiichiko | - | - | - |

母の病気、えらいこっちゃ・・
 熊本地震があった16日の夜、母(87歳)が下血をおこし、入院しました。熊本の天草、まだまだ余震が続く中、えらいことが重なったな、と思いました。
 検査の結果、直腸がんということがわかりました。人工肛門になるようです。
本人はまだ手術を戸惑っています。なんせ高齢ですから。手術の前後には私も帰るつもりでいました。ところが看護師である娘二人が、「今は直腸がんでも、人工肛門つけずに、温存する方法がある。腹腔鏡で手術する方向もある。高齢なのでそのほうが体に負担が少ない。こっちに連れてきたら」というアドバイスがありました。明日腸の検査をして、その結果で主治医と相談するように妹に頼むつもりです。
 母がどういうか?天草からこちらに来る体力があるのか?心配です。田舎から都会へ一時的にしろ、移るのは勇気がいります。でもこちらも私の子どもたち、妹の子どももいます。母の家族がたくさんいます。一人ぼっちにはさせません。
 どのようにしたほうが一番いいのか?迷っています。うちには2人の娘、1人の姪っ子が看護師です。よく相談して、母の気持ちを聞いて、兄・妹の意見も聞いて、主治医の意見も聞いて決めたいと思います。どうなることか、正念場です。

masakiichiko | - | - | - |

「戦争法を廃止へ!アベ内閣は退陣を!」4.17尼崎集会に参加
 朝は雨が降っていました。14時からの集会は大丈夫?と心配していましたが、昼からは雲一つない晴天になりました。照り付ける太陽と蒸し暑さの中、集会が行われました。主催は「戦争・原発・貧困・差別を許さない尼崎共同行動」です。
 広範な市民、党派を超えての集会です。2000万人署名は尼崎では3万7200筆になったとの報告がありました。
 夏の参議院選挙は、野党は共闘で、戦争法に賛成した与党を少数に追い込もうと、選挙では一致団結して頑張ろうとの意思が示されました。

 約300人の集まりでした

 寅さんと一緒に(阪神タイガース大ファンで寅さんと呼ばれています)

 私も1分間挨拶を
 あいさつしたのは、各団体、各分野で活動している代表の方でした。
 議員は1分間あいさつで参加者を激励しました。庄本えつ子県会議員、丸尾県会議員、共産党市会議員5名、緑のかけはし2名、社民党(グリーン)の1名の市会議員が参加しました。みんな「野党は共闘」「戦争法廃止、アベ内閣は退陣を」と同じ思いです。集会後は国道2号線から三和商店街をパレードで行進しました。

  コールしながらゆっくり歩くのは、結構疲れます。

 鹿児島の川内原発は、活断層地震の発達で大変危険な場所にあります。今すぐ運転を止めるべきです。テレビでは「川内原発の運転に問題はありません」というスーパーで表示されています。熊本と隣り合わせの鹿児島に震度は全く表示されません。それはどういうことかと思わざるを得ません。鹿児島でも地震による揺れは感知できるはずです。集会では川内原発の今すぐ運転を中止するべきとの訴えがありました。 
 ここの所、熊本地震で、何かしなければ、自分に何ができるのか?・・・テレビにくぎづけで、心を痛めていたので、気分転換になりました。
 今後も熊本地震募金活動に頑張ります。

masakiichiko | - | - | - |

ふるさと熊本が、大変なことに。熊本地震
 14日の初めて地震が起きたときには、熊本天草の実家に電話してもつながらず妹にメールで「大丈夫?」とだけ聞きました。娘がいとことラインでつながり、「全員無事だから、大きな地震だったけど大丈夫らしい」と連絡がありました。毎年台風に襲われ、自然災害には慣れているので、暢気に構えていました。
 しかし、15日になって熊本市内の地震の被害状況がわかって、余震が被害を拡大しないか心配していました。そして夜、テレビでは地震報道が続く中で、夜中にマグネチュード7.3の大地震が・・・それから震度6の地震が頻発する中で、テレビにくぎづけになりました。朝を待って実家に電話、「夜中怖くて眠れなかった。こちらは崩れた家はなく大丈夫。えらいことになった」と母が不安げに話していました。
 当初は、熊本市内の狭い範囲での地震の被害から、大きな地震があるたびに、熊本市内、阿蘇、大分と九州を横断する形で広範囲にまちの崩壊が始まりました。熊本は、九州はどうなるの?私の天草は?と事の大きさに戸惑うばかりです。えらいことです。
 夜中、一時津波が来ると報道があった時には、東日本大地震の映像が頭をよぎりました。津波は避けられたのでほっとしましたが・・・
 熊本市内と玉名に住む、2人の姪っ子たちは二人おち合い避難所で一夜を過ごしたそうです。2人一緒だったので安心しました。
 テレビで見た、熊本城の屋根・石垣の崩壊、市役所やマンション・家の崩壊、病院の倒壊、阿蘇の土砂崩れ、火事等、阪神大震災と同じ風景でした。地域のコミニュテイーがあるので、家屋倒壊で生き埋めになっている人の情報が救援者に早くに伝わり、救援活動が的確にできたのではないかと思います。しかし家の下敷きになり、救援活動が困難を極め、助からなかった命がありました。まだまだ救援活動が続いていますが、冷たい雨が降って体力の消耗が心配です。
 今、私たちに何ができるか?せめて救援募金を集めよう、復興のためにお金が必要です。駅前で仲間7人で募金行動をしました。1時間で24,074円集まりました。子どもが「ハイこれ」と入れてくれると感情がこみ上げてきました。

 私が訴えて

 6人が募金箱をもって

 知らせるビラもなく、赤旗新聞を掲げながらの募金活動

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「こどもの貧困と自治体施策」の学習会に参加
 大阪社保協主催の学習会に、難波まで行きました。難波まで行ったのは何十年ぶりでしょうか?難波の繁華街は歩いたことがありません。道に迷いながらやっと目的地にたどり着きました。
 「子どもの貧困」大阪こどもの貧困アクショングループ代表の徳丸ゆき子さんの話は、昨年一回聞いたことがありました。昨年は、「シングルマザーたちの100人がしんどい状況について話しました」実態調査の途中でした。今回、調査結果を踏まえた学習会でした。調査では、お母さんたちの幼少時代からさかのぼって現在に至るまで、そして自分と子どもの将来の不安などを聞いています。100人の人の同意を取って聞き取り調査をした、大変な苦労があったと思います。
  たいへん充実した講義でした

 「しんどい状態にあるシングルマザーのもとで暮らす子どもたちは、お母さんも頑張っている仕方ないと、寒さに耐え、お腹を空かし、淋しさを抱き、自分なりに頑張って生きていますが、たくさんの不利を抱えて大人になります。
 負の連鎖は次の世代へと引き継がれることが多く、自分だけ抜け出すことのは困難です。このまま親だけの責任としていれば、悲劇は繰り返し、今後も増えていくでしょう。」と徳丸さんは言います。

 子どもを抱え、困難な暮らしは自己責任とあきらめたら、一人では乗り越えることができません。「助けてほしい」声を上げることが必要です。でもこのように書いている、私は上から目線で言っているのでしょうか?
 幼少時代から、幸福感を知らないで育ってきたお母さん、その家庭環境から逃げ出したいと結婚。しかしまたそれが困難の始まりでした。出産・離婚して今度は経済的困難から抜け出せない、精神状態の悪化や職場でのいじめ、あるいは子どもの不登校といった様々な問題が重なる。到底自分一人では解決できません。社会が心を寄せて支援の基盤を作ることが必要です。
 でもそれも、上から目線の「ほどこし」に過ぎないのでしょうか?きっと、何ができるかではなく、話を聞いて何を望んでいるのかを知ることが大切のではないか?考えさせられる学習会でした。なかなか答えを出せません。

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中学校入学式に参列
 入学式の季節になったら、いつも私が参列してもいいのだろうか?どこの中学校に参列しようか?と迷ってしまいます。しかし私は文教委員、今年は行こうと決めていました。今回行ったのは、地元の中学校で、私の孫が入学する中学校に参加しました。
 子どもたちが真新しい大きめの制服を着て、緊張した趣で迎える入学式。どの子も不安と希望の表情に緊張感があります。保護者は大きくなったわが子をまぶしく、感慨深げに喜んでおられました。
 すべての子どもが、健やかに成長してくれることを願って、多くのお友達を作って大人へと成長していく大切な中学校生活が楽しいものになるように願っています。
 それにしても、義務教育とはいえ制服、体操服や運動靴等をそろえるなければならない。これまで給食であったものが、中学校になったらお弁当を持たさなければなりません。保護者の経済的、精神的負担は大きいのもがあります。中学校給食の実現が急がれます。
 また、一クラス、35,36人と多いなと実感。やはり中1ギャップの壁にぶつかる子どもたちも出てくるだろうな、せめて一クラス30人くらいまでが望ましいと思いながら見守っていました。

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武庫地域演説会
 尼崎での各地域での演説会は、武庫地域がかわきりでした。夏の参議院選挙まであと3か月、「今度の選挙は負けられない」「参議院選挙と同時に衆議院解散、総選挙もあり得る」との意気を高めようと呼びかけました。
 前日には、電話で支持者に参加を呼びかけました。足が悪くて外に出ることができない仲間も、車と車いすで来てくれました。50人の会場が満杯、立ち見が出るほどでした。
 みなさんは激動する国会の状況をリアルに聞きたい、また堀内てるふみ衆議院議員の活躍と金田みねお参議院予定候補の決意を聞こうと、わくわくする思いで足を運んでくれたと思います。


 金田みねお予定候補 「戦争法を撤回させるため、国会に送ってほしい」「今回は本気です。今までも本気でしたが・・」と訴えました

 地元弁士、尼崎9条ネットの代表、大道秀子さんです。戦争体験をリアルにしみじみと話す大道さんの話が、心にしみました。

 大門みきし参議院議員のDVDは、会場から笑い声が・・演説内容が一味違う、大きな魅力です。楽しいDVDでした。

 堀内てるふみ衆議院議員の話、昨日あった国会の状況をリアルに話していただきました。会場のみなさんの目が輝いていました。

 堀内さんが、「今度の選挙で与党は、野党に共産党が加わって、野党が強くなったことを脅威に思っている。共産党が頑張って国会議員を増やすことが
政治をかえる要になる」と力強く訴えられました。
また「アベノミクスの3本の矢は折れた。新3本の矢も本気で取り組もうとしているとは思えない。新3本の矢では景気は良くならない。共産党は1本の矢、働く人の賃金アップで景気回復する」と言われたことが一番スカッとしました。
 堀内さんは、尼崎市の(アスベスト・介護保険制度・国保)等の問題を国会で取り上げて、国の責任で是正と制度の充実を求めています。国会と地方が近くになりました。その懸け橋となる役割を果たしてもらっっています。頼もしい存在です。
 私は司会でしたが、「この兵庫から衆議院議員堀内てるふみ、参議院議員に金田みねおを国会に送りましょう」と呼びかけました。

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大門みきし参議院議員のフェイスブックから

 大門みきしさんのフェイスブックが更新されていました。こんなに素敵な内容だったので、私のブログにのせさせて頂きます。大門さんがお元気そうでよかった。関西に来てください。待っていまーす。大門さんのDVDも見ました。大門さんの語り口が大好きです。
大門みきしのフェイスブックから

「きょう検査のために病院に行ったら、小児病棟でボランティアをしているA子さんとロビーでばったり。1ヶ月ぶりの再会です。
「春ですね」とわたしが言うと、「すっかり春ですね」とA子さん。もうお会いすることはないかも、とおもいながら、急いでおられるようなので、「お元気で」とだけ言ってお別れしました。

A子さんに「大門さんですよね?」と最初に声をかけられたのは、わたしがまだ入院中の2月なかば、病院内の書店で立ち読みをしているときでした。しんぶん赤旗の写真や国会中継も見たことがあるとのこと。
わたしが入院中は時々、病院内でお見かけし、一度、待合室の椅子に並んで腰かけてお話をしたことがあります。

A子さんは40代はじめくらいで、結婚する前は保育士をしていました。息子さんが中学校に入り自分の時間がもてるようになったので、子どもたちのために何か役に立つことはできないかと院内ボランティアに登録し、小児病棟で活動するようになりました。

点滴や薬をいやがり、毎回お母さんにしがみついて大泣きする男の子。治療の副作用で髪の毛がぬけていく女の子。産まれてからずっと入院している子どももいる…幼い子どもたちが病気に苦しめられる姿は聞いていて本当につらいものがありました。
いい歳をして手術の傷あとにひいひい言っている自分が恥ずかしくなりました。

A子さんがいいました。「それでも子どもたちは健気に病気とたたかっています。心配なのはお母さんたち。子どもに付きっきりで身体も心もくたくたになっている。少しでも休ませてあげたいんです」
A子さんが毎日のように小児病棟に通うのはそういう思いがあるからでした。子育ての最も厳しい時間がそこにあり、公的な支援の手が差し伸べられていない。

いっぽうA子さんはボランティアの役割についても悩んでおられました。「大門さん、ボランティアって何ですか? 本来、お母さんたちのフォローも国の制度でやるべきじゃないんですか。それに、仕事がなく低賃金の世の中を見ていると、ボランティアがみんなの仕事を食っている部分もあるんじゃないかと思ったりするし…」

ボランティアか公的制度(仕事)か。むずかしいところはあるけれど、長い目でみれば、対立物ととらえるのはちがうのではないか。社会保障の歴史をみても、最初から制度が「上から」与えられたわけではなく、まず目の前で困っている人を救う行為、活動があり、それが運動、闘争になって公的な制度をかち取ってきたのだから、などと答えたものの、わざわざ運動しなければ一歩も改善されないような社会って何だろう、子どもや親の苦しみに最初から冷淡な政治って何だろうと考えてしまいました。

きょう、おそらくA子さんは小児病棟にむかって急いでおられたのでしょう。A子さんのおかげでどれだけの子どもとお母さんが助けられてきたことか。その事実こそ答えではないのか。だからA子さん頑張って。
復帰までもう少し。制度や政治を変えるためにわたしも頑張りますから。
A子さんの後ろ姿を見送りながらそうおもいました。」

素敵なおはなし、ありがとうございました。

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日本共産党後援会定期総会
 4月3日は、共産党後援会の定期総会に、金田みねお参議院選挙予定候補と堀内てるふみ衆議院議員が来てくれました

 金田みねお予定候補

 庄本えつ子県会議員

 市会議員も2分づつのあいさつをしました。

 堀内てるふみ衆議院議員

 堀内さんの話は、厚生労働省に所属する議員であり、社会保障や介護制度、保育所の待機児問題など、国会の臨場感がリアルに報告され「堀内さんは国会議員になって本当に頑張っている話が聞けて良かった」というのが、参加者の声でした。
 堀内さんが国会議員になって、尼崎市のアスベストや介護保険の問題などを取り上げて国会質問してくれています。議員の中では「堀内さんが国会議員になって、尼崎の問題も国レベルで取り上げてもらった。国会が身近に感じるね」というのが実感です。
 今度は、金田さんを国会に送るために頑張りましょう!

4月5日は、「戦争法の廃止を求める」の2000万署名に取り組みました。交通公園はさくらが満開で、花見客が連日いっぱいです。


 5人で署名を呼びかけました

中学生が集まってきて、「戦争なんて嫌」と言って、署名してくれました。
 一時間弱で27筆集まりました。コツコツと続けりことが力になります。
 中には「もう決まったことやんか、撤回なんてできないよ」「僕は賛成や」と言って通り過ぎる人もいました。そんな言葉にもめげないで頑張りました。

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沖縄最終日 辺野古へ
 沖縄最終日は、早朝から出発。「美ら水族館」「辺野古の新基地反対のテント村」へ行きました。

 沖縄のきれいな海に感動

 透き通る海に足を入れたら冷たかった

 辺野古の座り込み 636日目、すごーい!

 「民意は新基地NO」政府とアメリカに届け!

 テントまでいって説明を聞きました、嬉しそうな顔は不謹慎?

 辺野古は那覇空港から遠いところにあり、30分の滞在でした。でも連日座り込みで頑張っておられる人の説明を聞くことができました。
 アメリカと日本政府は、どうしても辺野古の海に新基地を作りたいようです。まだまだ長いたたかいが続きます。テント村には翁長知事の写真がありました。
 新基地反対の運動は、そのまま「戦争法反対」のたたかいでもあります。ホテル近くの、国際通りでは新婦人が2000万署名の運動がされていました。今や日本中でおこなっていることを実感しました。がんばれと激励しました。

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沖縄2日目、一人旅
 沖縄2日目は、孫と娘はダイビングへ初挑戦。私は「ひめゆり平和祈念資料館」「平和祈念資料館」「首里城」へと別行動です。
 タクシーの運転手さんと相談のうえ、貸切って案内してもらうことにしました。丁寧にガイドしていただき、大変充実した一日でした。

 ひめゆり祈念館の前で

 ひめゆり館では、当時師範学校で学ぶ女子部の学徒が、沖縄陸軍病院の配属されました。負傷した兵士の看護や水汲み、死体埋葬におわれました。兵士は最後は誰一人も「天皇陛下万歳」とは言わず、「お母さん」と言って死んでいきました。
 資料には「戦後60年以上たちましたが、戦場の惨状は私たちの脳裏のを離れません。私たちは何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れてはいません」「平和であることの大切さを訴え続けることこそ亡くなった学友・教師の鎮魂と信じ、私たちはこの地にひめゆり祈念資料館を建設しました」とありました。当時の遺品や記録をみると、その場に立ちつくしてしまします。生き残った方は命の続く限り語り部として、私たちに戦争の罪深さを語ってくれました。
 当時の旧海軍司令部壕がそのまま残っていました。中に入ると緊張感がピーンと張り詰めました。

 その後、「沖縄県平和祈念資料館」は、美しい海が一望できる場所にあり、公園内に沖縄戦で亡くなった、沖縄住民、日本兵、アメリカ兵すべての礎が建っていました。

記念碑の前で

 米軍の強力な掃討戦により追い詰められ、軍民入り乱れた悲惨な戦場と化しました。壕の中では、日本兵による住民虐殺や、強制による集団死、餓死があり、外では米軍による砲爆撃、火炎放射器などによる殺戮だあって地獄絵の世界でした。
 沖縄戦の実相は、物的資料はは非常に少なく、無念の思いで死んでいった人たちを代弁できるものは、戦場を体験した住民の証言しかない。忌まわしい記憶に心を閉ざした人々の重い口から、後世に伝えようと語りつがれる証言の数々は、歴史の真実そのものです。


 知念公園、海が透き通って、海底まで見えます。
 私のふるさと天草の海より美しかったです。太平洋の水平線が描かれていました

 世界文化遺産の「斎場御嶽(せーふぁうたき)の三庫理(サングーイ)」
 運転手さんのおすすめで途中下車して立ち寄りました。祈念すると望みが叶うそうです。欲張りの私は、たくさんのお祈りをしました。もちろん「世界の平和」も祈願しました。
 
  有名な首里城の門

 観光最後は首里城にいきました。もう早くホテルに帰りたくて首里城の外から写真に収め帰りました。
 タクシーの貸し切りは、少し贅沢かと思いましたが、一人ではこのような充実した観光にはならなかったと思い満足しています。心に残った一日でした。

 娘と孫は、初めてダイビングを経験して、とっても怖かったようです。海底を楽しむ余裕はなかったと言っていました。ダイビングはかなり体力を使い、疲れ切ったようです。でも夜の買い物する姿を見ると、全く疲れを感じさせないパワーでした。


海底がすぐそこに見え、でも本当は深かったようで、怖くて震えていたそうです。

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沖縄に行ってきました。1日目
 小学校卒業した孫と娘が卒業旅行に、沖縄に行くことのなりました。そこで私もついて行くことになりました。早朝に出発して、沖縄についてもたっぷりと遊ぶことができました。
 初日を紹介します。
 「おきなわワールドパーク」で、「エイサー」の舞を観覧しました。孫が通っていた保育園でエイサーを習っているので本場の舞を見ましたが、孫が踊っているエイサーとは全く違って、太鼓や三線を演奏しながら、とっても激しく飛びまわる激しい舞です。とっても感動しました。最後にはみんなで舞台で踊りました。写真は禁止でした。

 エイサーの舞台で記念写真

次に鍾乳洞に自然の世界が、神秘的で美しかったです。






最後には、琉球の衣装を着させてもらって、沖縄にしたりました。
 どうですか?きれいでしょ!

 レンタカーを借りて、那覇の国際通りの近くのホテルに泊まりました。夕食は沖縄料理を堪能しました。私は、オリオンビールを飲みました。那覇の国際通りには、那覇市役所と沖縄県庁が建っていました。大変立派な建物で驚きました。
 孫は初日から、友達へのお土産探しに一生懸命です。私は朝が早かったので疲れました。今日は、きれいな海を見ることはできませんでした。

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