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ふるさと熊本が、大変なことに。熊本地震
 14日の初めて地震が起きたときには、熊本天草の実家に電話してもつながらず妹にメールで「大丈夫?」とだけ聞きました。娘がいとことラインでつながり、「全員無事だから、大きな地震だったけど大丈夫らしい」と連絡がありました。毎年台風に襲われ、自然災害には慣れているので、暢気に構えていました。
 しかし、15日になって熊本市内の地震の被害状況がわかって、余震が被害を拡大しないか心配していました。そして夜、テレビでは地震報道が続く中で、夜中にマグネチュード7.3の大地震が・・・それから震度6の地震が頻発する中で、テレビにくぎづけになりました。朝を待って実家に電話、「夜中怖くて眠れなかった。こちらは崩れた家はなく大丈夫。えらいことになった」と母が不安げに話していました。
 当初は、熊本市内の狭い範囲での地震の被害から、大きな地震があるたびに、熊本市内、阿蘇、大分と九州を横断する形で広範囲にまちの崩壊が始まりました。熊本は、九州はどうなるの?私の天草は?と事の大きさに戸惑うばかりです。えらいことです。
 夜中、一時津波が来ると報道があった時には、東日本大地震の映像が頭をよぎりました。津波は避けられたのでほっとしましたが・・・
 熊本市内と玉名に住む、2人の姪っ子たちは二人おち合い避難所で一夜を過ごしたそうです。2人一緒だったので安心しました。
 テレビで見た、熊本城の屋根・石垣の崩壊、市役所やマンション・家の崩壊、病院の倒壊、阿蘇の土砂崩れ、火事等、阪神大震災と同じ風景でした。地域のコミニュテイーがあるので、家屋倒壊で生き埋めになっている人の情報が救援者に早くに伝わり、救援活動が的確にできたのではないかと思います。しかし家の下敷きになり、救援活動が困難を極め、助からなかった命がありました。まだまだ救援活動が続いていますが、冷たい雨が降って体力の消耗が心配です。
 今、私たちに何ができるか?せめて救援募金を集めよう、復興のためにお金が必要です。駅前で仲間7人で募金行動をしました。1時間で24,074円集まりました。子どもが「ハイこれ」と入れてくれると感情がこみ上げてきました。

 私が訴えて

 6人が募金箱をもって

 知らせるビラもなく、赤旗新聞を掲げながらの募金活動

masakiichiko | - | - | - |

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