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沖縄2日目、一人旅
 沖縄2日目は、孫と娘はダイビングへ初挑戦。私は「ひめゆり平和祈念資料館」「平和祈念資料館」「首里城」へと別行動です。
 タクシーの運転手さんと相談のうえ、貸切って案内してもらうことにしました。丁寧にガイドしていただき、大変充実した一日でした。

 ひめゆり祈念館の前で

 ひめゆり館では、当時師範学校で学ぶ女子部の学徒が、沖縄陸軍病院の配属されました。負傷した兵士の看護や水汲み、死体埋葬におわれました。兵士は最後は誰一人も「天皇陛下万歳」とは言わず、「お母さん」と言って死んでいきました。
 資料には「戦後60年以上たちましたが、戦場の惨状は私たちの脳裏のを離れません。私たちは何の疑念も抱かせず、むしろ積極的に戦場に向かわせたあの時代の教育の恐ろしさを忘れてはいません」「平和であることの大切さを訴え続けることこそ亡くなった学友・教師の鎮魂と信じ、私たちはこの地にひめゆり祈念資料館を建設しました」とありました。当時の遺品や記録をみると、その場に立ちつくしてしまします。生き残った方は命の続く限り語り部として、私たちに戦争の罪深さを語ってくれました。
 当時の旧海軍司令部壕がそのまま残っていました。中に入ると緊張感がピーンと張り詰めました。

 その後、「沖縄県平和祈念資料館」は、美しい海が一望できる場所にあり、公園内に沖縄戦で亡くなった、沖縄住民、日本兵、アメリカ兵すべての礎が建っていました。

記念碑の前で

 米軍の強力な掃討戦により追い詰められ、軍民入り乱れた悲惨な戦場と化しました。壕の中では、日本兵による住民虐殺や、強制による集団死、餓死があり、外では米軍による砲爆撃、火炎放射器などによる殺戮だあって地獄絵の世界でした。
 沖縄戦の実相は、物的資料はは非常に少なく、無念の思いで死んでいった人たちを代弁できるものは、戦場を体験した住民の証言しかない。忌まわしい記憶に心を閉ざした人々の重い口から、後世に伝えようと語りつがれる証言の数々は、歴史の真実そのものです。


 知念公園、海が透き通って、海底まで見えます。
 私のふるさと天草の海より美しかったです。太平洋の水平線が描かれていました

 世界文化遺産の「斎場御嶽(せーふぁうたき)の三庫理(サングーイ)」
 運転手さんのおすすめで途中下車して立ち寄りました。祈念すると望みが叶うそうです。欲張りの私は、たくさんのお祈りをしました。もちろん「世界の平和」も祈願しました。
 
  有名な首里城の門

 観光最後は首里城にいきました。もう早くホテルに帰りたくて首里城の外から写真に収め帰りました。
 タクシーの貸し切りは、少し贅沢かと思いましたが、一人ではこのような充実した観光にはならなかったと思い満足しています。心に残った一日でした。

 娘と孫は、初めてダイビングを経験して、とっても怖かったようです。海底を楽しむ余裕はなかったと言っていました。ダイビングはかなり体力を使い、疲れ切ったようです。でも夜の買い物する姿を見ると、全く疲れを感じさせないパワーでした。


海底がすぐそこに見え、でも本当は深かったようで、怖くて震えていたそうです。

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