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大変貴重な体験をして、帰ってきました。


 いわき市の港のあちこちに原発の怒りの表明が・・・

 木造の仮設住宅 いい感じでした。

 元気なひまわりの花が咲いていました。

 ボランティアスタイル(当日は雨)

 いわき市の高台のニュータウンの広大な公園に、仮設住宅が元の集落ごとに400戸建っていました。周りには知り合いが多く孤独という感じはありませんでした。
 5人で2組に分かれて、支援物資を配りながら、困っていることや今の思いをお聞きしながら回りました。一件に20分くらいの時間をかけながら丁寧に話を聞きました。困っていることを県や自治体に届け、改善されたらいいなという思いからです。
 物資はお米やタオル、洗剤、食用油など生活必需品を届けました。皆さんに大変喜ばれました。
 農業を営んでおられた方は、成長した稲穂を見たら「今年のお米は出来が良かったのに、原発さえなかったら農業を続けられたのに悔しい」と涙を流しながら話されました。「東電から送られてきた賠償の書類は難しく必要書類が多く、わしらでは書くことが出来ない」と分厚い書類を見せてくれました。
 「広い家でのびのびと暮らしていたのに、家族がばらばらに暮らし、狭い仮説では圧迫感と窮屈で大変だ」「ここで死ぬのはいやだ、家に帰って死にたい」「着の身着のまま家を出てきた、すぐに帰れると思ってなにも持ってこなかった。こんなことになるとは・・」「5分10分後に、家を出ると車に乗らされた、エプロンとスリッパ姿で避難所に連れて行かれた」などあちこちの避難所を転々としてやっと仮設に落ち着いたとのことでした。つらかった思いを話されました。
 高齢者は風呂の湯舟が高くて深い、「30分風呂の中でおぼれそうになりやっとの思いで風呂から出た。このまま死ぬかと思った。手すりをつけてと頼んでいるがすぐには出来ないといわれた。それからシャワーしか使っていない」と足の悪いお年よりは、シャワーしか使っていないという人多くいました。木造の仮設住宅はロフトがあって、一見おしゃれな建物です。でも2階の物置に上がるのに急なはしごを使わなければなりません。足に悪いお年よりは怖くて昇れないといっていました。それに畳がなく板張りにカーペットをひいて布団で寝ておられます。硬くて体が痛いそうです。これからの季節は底冷えが心配です。木造なので夏はダニなどが多かったそうです。いろいろな問題も抱えています。
 そのほか、ポストが雨ざらしで郵便物が濡れる。ひさしが短く洗濯物が濡れるなどの不都合なこともお聞きしました。買い物や病院に行くのに、交通の便が悪い、子どもさんが仕事の休みのときに買い物に連れて行ってもらうなどいろいろな話をしてもらいました。
 とりわけ東電に対しては、「東電は安全だとしか言わなかった。危険性に問題は一度も聞いたことなかった。原発があったために、私ら家が残っているのに、田んぼがあるのに家に帰れない、財産をすべてなくした」と怒りをあらわにされていました。もう原発は要らないがすべての避難者の声です。
 ある東電に20年間勤めていた方は、「国が示す基準は、私らが危険とされていた基準であり安全基準は信用できない。放射能が怖くて仕事を辞めた。子どもの内部被爆は20年30年後にどんな形で出てくるのは分からない、甲状腺だけでなく内臓被爆の検査を今やっておかないと、症状が出たときに放射能によるものとの断定が出来なくなる」との危機感を話していました。
 訪問は時間がかかり2日間回ったけど多くは回ることが出来ませんでした。皆さんから聞いた貴重な問題点や意見は、国や自治体を通じて改善していきたいと思います。
 配りきれなかった物資は、最後はバザーですべて人々に手に渡すことが出来ました。喜んでもらえて本当にうれしかったです。
 私は、2日目に高熱を出してしまいました。解熱剤を飲んで熱のコントロールしながらの参加でした。でも避難している皆さんの話を聞いていると、体調が悪いのも忘れてしまいました。でも帰ってきた夜に、また高熱でうなされました。体調管理もボランティアには大切なことだと反省しています。
 行きは東名高速が工事でかなり渋滞したので、帰りは新潟方面から帰ってきました。渋滞もなくスムースに帰ることが出来ました。それでも12時間かかりました。東北は遠いです。長くて短い5日間でした。

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