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〈論点〉乱れる政治の言葉
 6月9日の毎日新聞〈論点〉乱れる政治の言葉 不破哲三・日本共産党前議長のインタビュー記事がなっていました。ここに掲載します

乱れる政治の言葉
毎日新聞2017年6月9日 東京朝刊
 安倍晋三政権の閣僚の言葉が崩壊現象を起こしている。被災者の思いを逆なでする復興相、憲法違反の疑いをそらすために言葉を言い換える防衛相、重要法案の答弁ができない法相……。安倍首相の言葉もまた、論点外しや感情的な言い回しが目立つ。政治家たちの言葉はなぜにこうも雑で、また無頓着なのだろうか。

国民に語りかける真摯さ欠如 不破哲三・日本共産党前議長

 安倍晋三政権の空虚な言葉の背景には、政治に対する真剣さの欠如がある。国会での質疑や記者会見は、野党議員や記者の後ろにいる国民を意識して語りかける場だ、という真摯(しんし)な姿勢がない。講演や身内の集会になるとなおさらだ。「何を言っても平気だ」という意識が、失言や暴言を生んでいる。

 「共謀罪」法案を巡る金田勝年法相の答弁が批判されている。与野党対決法案の成立を目指す時、以前の首相は担当閣僚の人事は慎重に行ったものだ。だが、今の与野党の力関係なら成立可能と踏めば、法律を知らない法相でも平気で任命し、熟慮なく国会に臨む。

 最近驚いたのは、「共謀罪」法案について国連の特別報告者が安倍首相に、プライバシーや表現の自由の制約を懸念する質問の書簡を送ったことに対し、菅義偉官房長官が記者会見で「内容は不適切で強く抗議した」と述べたこと。「国連ごときが何事だ。日本の政治に口を出すのか」と言わんばかり。国際社会ではあり得ない。自民党政治の末期症状だ。

 僕は55年体制下の1969(昭和44)年の衆院選で初当選し、その後、党書記局長として、歴代首相と多くの国会論戦に臨んだ。当時の自民党の首相は、もっと国会の討論を大事にしていた。

 たとえば田中角栄元首相。自らの政治の弱点を野党に突かれた時も、そこに重大な問題があると思えば、逃げずに機敏に対応した。

 74(同49)年の衆院予算委で、米原潜の放射能測定データの捏造(ねつぞう)を追及した時には、首相自身が「万全の体制をつくるべく全力を傾けたい」と答弁。新しい測定体制が確立するまで、183日にわたって原潜の日本寄港を停止させた。二十数年後に米政府の公文書公開で分かったことだが、キッシンジャー国務長官(当時)から「この事態は日米安全保障条約の重要部分の廃棄に匹敵する」など強硬な抗議が寄せられていた。それでも体制確立まで頑張ったわけだ。

 福田赳夫元首相には78(同53)年、米軍が千葉県柏市に設置を計画した「柏ロランC基地」について質問した。原子力潜水艦が自らの位置を測定するための基地で、米国の軍事文書には「核戦争になれば真っ先に攻撃される」と書かれていた。このような基地を首都圏の人口密集地に置くことの是非をただすと、福田氏は「よく調査して決定する」と答弁。基地は1年後に撤去された。

 どんなに激しく対立しても、当時の自民党は野党の指摘にも対応する姿勢があった。安倍政権が沖縄県の普天間飛行場移設問題で「辺野古が唯一の選択肢」として耳を貸さないのとは大きな違いだ。

 そう言えば、当時は折に触れて与野党の党首会談があった。特に日米首脳会談などの重大な事案がある時は、歴代首相は野党党首とも事前の意見交換をした。そういうゆとりも、今は失われている。

 70年代は国民の支持率で自民党は今よりはるかに強かったが、国会での論戦にはそれなりに真剣な対応をした。政権党に不可欠の、国会と国民に対する誠実さの欠如が、安倍政権の言葉の乱れ、政治姿勢の乱れを生んでいるのではないか。【聞き手・尾中香尚里】
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 日本共産党の不破哲三氏や志位和夫委員長の言葉は、そのまま論文になるほど、言葉を大切に、正確に使っています。
毎日新聞の記事を読んで、感動したのでブログに掲載しました。

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