| main |
母の病気
初めての天草エアライン
伊丹空港から天草空港へ、こんなかわいい飛行機があるのだろうかというほどの、50人乗りのプロペラ機でした。まるで空を飛ぶバスという感じです。気流の関係で機体が揺れ怖かった。母の安否を考える前に自分の身体を考えました。普通はそんなに怖い思いはしないかもしれませんが、私はジエットコウスターも苦手なので怖かったです。もう二度と乗らないと決めました。
 とにかく小さくてかわいい機体です
 低飛行なにで、阿蘇に近づくと青テントが張られた住宅が多くありました。熊本市内も同様で地震の被害が痛々しく上空から見えました。天草のほうに近づくと青テントもほとんどありませんでした。

 大変な手術

 母の大腸がんは、実際開いてみると直腸の4分の3はガンで侵されていました。このガンは数年前から症状はあったようながんの進行具合でした。高齢のために他の臓器への転移はなく安心しました。
 手術前の母
 手術中に体重35圓梁里ら、3500gの出血がして、輸血をしながらの大変な手術でした。術後は人工呼吸器につながれながら病室に帰ってきました。それから3日間呼吸器をつけたままでした。
 私は、合併症を防ごうと、術後から手や足をマッサージして動かしました。術後4日目から人工呼吸器が外れ、おしっこの管が外れました。それから病棟内を歩く練習をして、母は見る見る間に回復していきました。
 母は、しんどくても痛くても決して痛いとは言わずに、頑張りました。しかし人工肛門からお通じが出た時は、少しショックだったようです。それでも食事はしっかりと取り、日に日にチューブが取れていきました。
 私は、せめて一人でトイレに行くようにと母を励ましました。それから10日間付き添い帰ってきました。ちょうど5月のゴールデンウイークに差し掛かり、十分に付き添うことができました。後は妹と兄に託して帰ってきました。

 帰る日の母、まだ点滴につながれていました。

 最終日には、せっかく天草に来たのだからとホテルの温泉で気分転換を楽しみました。気持ち良かったです。こんなに長く田舎にいたのは、ずいぶん昔の里帰り出産依頼でした。とっても有意義な日々でした。何よりも87歳の母の頑張り、強さに脱帽です。どんなにつらくても「痛い、しんどい」と言わないのですから。そしてトイレ歩行や歩く練習にも前向きに取り組み回復することができました。
 10日目、私は熊本までバス、それから新幹線で帰ってきました。また緊急時には飛行機で帰ってくることもあるのかなと思いましたが、しばらくは陸のほうがいいです。

masakiichiko | - | - | - |

TOPへ
PROFILE CALENDER
1234567
891011121314
15161718192021
22232425262728
293031    
<< May 2016 >>
ABOUT SITE REPORT NEW ENTRIES CETEGORIES BACK NUNBER