行政視察で宮城県気仙沼市へ
 今回の建設消防防災委員会では、東日本大震災で大きな地震と津波に襲われた気仙沼市に行きました。復興支援で尼崎市の市職員が震災直後から8年間区画整備に関わって支援をしてきた気仙沼市が、快く行政視察を受け入れていただいたからです。(台風19号の被災地になったのにも関わらずに受け入れてもらいました)
 市街地の区画整備の最中で、津波で全滅状態だった街が新しく生まれ変わっていました。町全体を盛り土をしてインフラ、道路、家が建っていました。家が建つとそこにスーパーや病院、公共施設が出来、街が出来てきます。
 公営住宅が5階建て? 屋上で街を見渡しました。

 まちづくり、ご苦労があったと思います。

 気仙沼市の産業は漁業です。防潮堤を建てるのに市民の海が見える高さにと強い要望で、高い防潮堤ではなく海が望めます。しかし町がかさ上げしてあるので海からはかなり高くなっています。高波が防潮堤を超えないように波のチカラで壁が出来る仕組みとなっており、いろいろな工夫がされていました。

 午後からは、「伝承館」に行きました。当時高校が被災しました。4階まで津波が押し寄せ、車や水産加工の倉庫が校舎に押し寄せ壊滅状態に。あえて取り壊さずに残し事で後世まで地震のことを伝えようと伝承館と名前を変え、被災当時のまま保存しています。
  4階部分まで傷跡が残っています

 4階部分まで車が押し寄せました。当時のままです。

 1階部分は校舎の隙間に、職員駐車場の車が折り重なるように。この狭い隙間に5台の車が。

 伝承館の館長さんが、「当時は情報が全くなく街全体がどうなっているのかわからず、広範な火事が起こり呆然と見ていた。何をしたらいいのかが全く分からなかった。地震津波直後に、尼崎市から都市整備、土木課、水道下水の職員さんが来てくれた。そして『やるべきことはすべてこちらがやるから、気仙沼市さんはできることをやってくれ』と言われたことを忘れません。局長さんをはじめスーパー技師を派遣してもらってがれきの整備から被災診断、復興まで8年間ずっと支援をしてもらっています。本当にありがたくて涙がでました。」今も退職された局長さんは、年に1回は気仙沼を訪れ職員を激励されています。
 私は尼崎市の職員をとっても誇りに感じました。都市整備の高いノウハウを全国に広げていました。気仙沼市は、熊本地震の時は自分たちの経験を生かして復興支援に行かれたそうです。感動で議員全員泣いていました。
 また地震当時の映像を見せてもらいました。テレビで何度も見た映像でしたが、津波が町、人の命を飲み込むむごさに声も出ませんでした。 職員さんは案内はしてくれますが「この映像だけは見ることが出来ないのです」と話されました。私たちのようなよそ者は、映像の中で当時がよみがえりますが、街の人はこの映像は辛すぎるのでしょうね。でも残さなければならないのです。



 

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