父の形見
2013.03.12 Tuesday
母が田舎から来た時に、『これは一子がもっとけ』と言って、父の日本共産党50年党員のバッチを差し出しました。なかなか見ることが出来ない、私は50年党員なんて達することが出来ない記念バッチです。今大切にしまっています。父は日本共産党を誇りに思っていました。戦後シベリアに抑留された時に一生懸命に勉強して党員になり、レットパージで職場を追われ、田舎で農業を天職として、死ぬまで情熱を注ぎ、一生貫き通しました。
母は、そんな父にぴったりと寄り添い支えてきました。最高の夫婦です。
なぜか、今回母が、自分達の結婚式と写真を持ってきてくれました。私に持っていてほしかったのでしょう。一枚だけの貴重な写真です。若いときの父はなんとかっこいいことでしょう。知的なイケメンです。
なじみの父の写真、やさしい顔が大好きでした
母は、84歳ですが、『しんぶん赤旗』がおもしろいとよく読んでいます。
そして話の途中に政治的な話をします。例えば、うちの夫に『こうちゃん、デフレってなに?』と聞いたそうです。夫がビックリしていました。丁寧に答えたそうです。
農業家なので、TPP反対と心配していました。特に九州に住んでいるためか、沖縄のオスプレイや基地の問題でも真剣に反対を唱えています。政治と自分の暮らしを密着させて考える人です。
すごいなと尊敬しています。父の精神をきちんと受け継いでいました。
父は4年前、私が市会議員に立候補することを反対しました。私がすることはなんでも応援していたのに、市議選に出ることだけは初めて反対しました。でも最後には『頑張ってみろ』と許してくれましたが、結果を知ることなく亡くなってしまいました。
今回も、がんばります。見守っていてください。父ちゃんの生き方は私が受け継ぎます。
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