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とうとう小学校が廃校に
 祖父母、父母、兄弟、いとこ、甥姪、そしてその子たちが通った小学校が廃校になりました。天草市の志柿小学校です。100数十年続いた学校が、子どもたちの数が1〜6年生まで20数人になりとうとう廃校になりました。今はスクールバスで少し遠い小学校に通っています。50年前は私が通っていましたが、全校生徒は100人チョットはいましたが。長い年月が経ち子どもたちの数が少しづつ減ってきました。それでも20数人頑張っていたのに・・・。これも時代の流れです。
 近所に住んでいる甥っ子の娘たち(3・1歳)が希望の子どもたちです。近くの保育所に通っています。ここでは何人の幼児を預かっているのかな?
 私の実家は小学校のすぐ近くにありますが、すっかり小中学生の姿が見えなくなりました。以前は自転車で通う中学生や小学生が歩く姿が、元気な笑い声がよく聞こえていました。寂しい限りです。
 小学校跡地に行ってみました。校舎はまだ残っていました。校庭は草が生えていました。これが、子どもたちの姿が見えなくなる限界集落なのでしょうか? 目の当たりにして出す言葉もありませんでした。
 若い人たちは故郷を愛しています。しかし仕事がない、給料が安い、田舎では生活が出来ません。だから私と同じように、都会に出た若者は田舎には帰ってきません。
 小学校跡地には記念碑が建てられていました。

子どもの頃は大きく感じられた学校も、こんなに小さな学校だったとは。
 

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精霊流し
 8月13日に、亡くなった方の魂を迎い入れて、15日には海に帰すという精霊流しを天草の地域の人たちと送りました。各集落から船を出します。
 灯篭・提灯で飾り、果物や野菜・お菓子等寂しくないように飾りつけをして、波止場へかついて行きます。

 台風後の波があるので、船で先導しました。

 食べ物は海の生き物のえさになるそうです。たくさんのまち中の人が波止場に駆けつけて見送りました。私は子どもの頃には毎年見送りましたが、大人になってからは久しぶりに見ました。それにしても子どもの姿が少なくなりました。私より年上の先輩方や高齢者が多い風景です。そんな中で、何人かの幼児が走り回っていました。まだまだこの街にも希望があります。子育てしている若い世帯も健在です。

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